3つの宝箱

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

最近のプロレスに思うこと。

 今新日本プロレスが、凄い人気です。会場は常に満員になり、レスラーの技も昔に比べ高度なものになっています。入場演出も派手になり、女性ファンも増えています。

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ただ私は、昔の昭和プロレスほど今のプロレスにのめり込めません。その理由の一つには、自分が歳を重ねレスラーを憧れの対象として見ることが出来なくなったことがあります。思春期の時は憧れのレスラーに感情移入して、自分にその姿を投影したりしたものですが、もはやそういう年齢では自分がなくなったということです。

 しかし今のプロレスにのめりこめないのは、それだけが理由ではありません。今のプロレスは妙に明るくなりすぎているのです。まずレスラーのルックスがイケメン風のレスラーが増え、それらのレスラーに対し女性ファンが、まるでアイドルを応援するように声援を飛ばす。

その明るくなりすぎたプロレスにどうしても違和感があり、なじめないのです。前述したように今のレスラーのルックスは、昔のレスラーに比べ格段に良くなっています。

そして、その体格は一部を除き小型化しています。

つまり言い換えるとレスラーが普通の人のようになっているのです。普通の体格のルックスのいいレスラーたちが、派手な技の応酬を繰り広げ、その人気が広がっているのです。

 これはプロレス業界としては、望ましいことに違いありません。一部のマニアだけじゃなく一般層にもプロレスの人気が広まったのですから。

 ですが、私が好きだったプロレスはそういうものではなかったのです。プロレスとは世間一般の人から大きく離れた怪人たちが行う、ある種の見世物的なものだったのです。普通の体格の人が行うものではなく、並外れた体躯を持ち、ルックスからして異形の人々が行うものだから魅力を感じたのです。

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 つまり世間一派には認知されずにひっそりと楽しむものだからこそ、プロレスが好きだったのです。「プロレスなんか」と馬鹿にされつつも、それでも離れられない魅力が当時のプロレスにはあったのです。

 今のプロレスファンに比べると絶対数は少ないながらも、その思い入れは圧倒的に深かったと思います。

それゆえに今でも昭和プロレスのことを熱く語れる訳です。  

 今のプロレスに懸念するのは、今のプロレスファンはいつまでプロレスを好きでいてくれるのかないうことです。

 どれだけの深い思い入れを持ってプロレスを見てくれているのでしょう?

かってのJ リ―グやラクビ―のように、今の人気が一過性で終わらないよう願っています。

 その鍵はオカダ達今の新日本のトップ達がどれだけ深い思い入れを持ったファンを作れるかだと思います。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。