昭和プロレスを巡る謎6(高田に負けたマーク・ルーイン)
今回の謎は今でも多くのプロレスファンが疑問に思っていることです。
それは1984年の第1次UWFでマークー・ルーインが高田に負けたことです。
このことは、当時話題になりました。
何故なら当時の二人のプロレス界における挌には、大きな差があったからです。
この時ルーインは、47歳でレスラーとしては下り坂を迎えていたとはいえ、過去にはWWA 世界チャンピオンだったこともあり、プロレスの世界ではビッグネームです。
かたや高田は、新日本では少しは注目され始めていたとはいえ、まだまだ若手の域を出ない選手であり、二人の挌には大きな隔たりがありました。
普通に考えればルーインが勝って当たり前であり、高田が勝つことはあり得ないことなのです。そのあり得ないことが起きたので当時話題になったのです。
では、何故そのあり得ないことは起きたのでしょう。それには幾つかのポイントが浮かび上がります。
順番に整理していきます。
まず当時推測されたのが第1次UWFが真剣勝負を行う団体であり、ルーインは実力で高田に負けたというものです。
長い間この説が事実のようにまかり通っていましたが、これはあり得ません。
私は実際に高田対ルーイン戦の映像を見ましたが、それはあくまでも普通のプロレスの試合でした。真剣勝負でも不穏試合でも何でもなく二人とも取り決めにしたがって、通常のプロレスを行っています。その証拠に試合中にはボディスラムや回転エビ固め、ミサイルキックなど従来のプロレス技が使われています。唐突なのはフィニッシュの腕固めぐらいですが、これも高田が突然仕掛けたという印象はなく、取りきめ通りという印象です。つまり何の違和感もなく普通のプロレス試合として行われています。
普通のプロレスであるとすると何故ルーインは負け試合を飲んだのでしょう。これこそが大きな謎なのです。
その理由が長年私を含めプロレスファンを悩ませてきたのです。ただ私なりに考えた理由を今から述べていきます。
まず一つにはこの試合が第1次UWFで行われたことです。当時のUWFは出来たばかりの団体でそこでの試合結果はおそらく海外では注目されることはなかったはずです。
言い換えるとどんな試合が行われても、ルーインのアメリカでのビジネスに影響しないとい言うことです。そのためルーインも負け役に拘りがなかったのではと思われます。
逆に言うとこれが全日本や新日本のようなメジャー団体であればルーインは、高田に負けることは受け入れなかったと思います。その結果は海外に伝わりルーインのビジネスに影響するかもしれないからです。
二つ目の理由としては、馬場への当てつけです。
このUWFの来日はテリーファングのブッキングで行われています。つまりジャイアント馬場の指示ということです。それまでルーインは全日本の常連外国人でした。それが全日本へは呼ばれず右も左も分からない新しい団体へ斡旋されたということです。
このことはルーインがもう全日本には必要ないということを示しています。分かりやすく例えると大企業の会社員が下請けの会社に出向を命じられたということです。
このことはルーインにも伝わったでしょうし、自分が切り捨てられたと感じたのかもしれません。もう自分は全日本には呼んでもらえないと思ったのでしょう。
そこでルーインは馬場への腹いせとしてUWFでの負け役を請け負ったのではと思われます。ルーインは日本での自分の格を理解していたと思います。そのルーインが一介の若手に過ぎない高田に負けることは日本のプロレス界に衝撃を与えることも理解していたはずです。
それも理解した上で高田に負けた。それは日本マット界のプロレスの序列に衝撃を与え、ひいてはジャイアント馬場の挌をも傷つけることになるからです。
つまり高田に負けたルーインと馬場は全日本で互角の試合をしていたと。
これがルーインなりの馬場への復讐と考えると辻褄があってきます。
私がこう考える根拠には当時の週刊プロレスでのルーインのインタビューで、
ルーインが「若者たちの新しいチャレンジを応援したい。」と語っていたことがあります。この新しいチャレンジとは従来のプロレスの格を壊していくこととルーインは語っていると思います。
つまりそれを理解して、受け入れたということです。
さらにこの高田・ルーイン戦の結果を馬場が聞き激怒したということを当時何かの記事で読みました。
当初これを聞いた時は、自分が斡旋したルーインの格を守らなかったUWFと高田に怒っているのだなと思いました。
しかし、今になってよく考えてみると馬場が、本当に怒っていた相手はルーインではないかと思います。
(俺が全日本から切ったあてつけにこんなことしやがって。)と思ったのではないでしょうか。
そういう風に考える全てが、しっくり行きます。
もちろん全てこれは、私の想像なので真実は別のところにあるかもしれません。
ただルーインは、やはりこの後二度と来日しませんでした。
このことが何かを物語っているような気がします。
最後まで読んでいただきありがとうございます。