3つの宝箱

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

昭和の新日本プロレスを決定的に嫌いになった理由

今まで私のブログを読んでいた方なら、薄々分かっていただいていると思いますが、私は昭和の全日本プロレス派です。
プロレスラー個人のアントニオ猪木は、本当に素晴らしいレスラーで猪木の試合には魅了されたものです。
ただ団体としての新日本プロレスが、どうしても受け入れられませんでした。
一番大きな理由は、他団体を落としめて自分の団体だけが利を得ようとするやり方が、大嫌いだったのです。

国際プロレスからエースのストロング小林を引き抜いたり、全日本プロレスの馬場に対する挑発行為。
自分のところは、ストロングスタイルで全日本はショーマンスタイルとの誹謗中傷。
挙げ句の果てにショーマンスタイルと見下していたその全日本プロレスから選手の引き抜き。
他団体を潰すためには、何でもするという姿勢に嫌悪感を感じたものでした。

ただそのほとんどは、猪木のブレーンの新間寿が行ったもので、猪木に対しては直接の嫌悪感は持っていなかったのです。
何より前述したように、レスラーとして猪木は本当に魅力的だったからです。

そんな猪木も含めて、新日本にとことん嫌悪感を持つようになったのは、国際プロレスが崩壊した後のことです。
ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の元国際勢三人が新日本プロレスに上がることになりました。
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彼ら三人に対する新日本プロレスの扱いは、ひどいものでした。
猪木に敵対する訳ですから、悪役として扱われるのは仕方ありません。ただ対等の敵として扱うのではなく、ひどく格下扱いして終始見下していました。

これは、当時の新日本ファンのせいでもあります。
当時の新日ファンは、熱狂的猪木信者が多く猪木に敵対するものは、憎悪の対象になりやすかったのです。特に木村たち三人に対しては、「潰れた団体の奴らが、生意気に猪木に立ち向かいやがって」とファン自体が、彼らを見下していたため、会場での憎まれ方も凄まじいものでした。何しろ出てくるだけで「帰れコール」の大合唱。某プロレス誌の記者が「団体が潰れて、帰る場所のない人間に帰れコールとは、ひどすぎる。」と新日本のファンの人間性を嘆いていたものです。
その木村たちの憎まれ方を見て、新日本のフロントや猪木が徹底的に悪役扱いして集客に結びつけようと思ったわけです。

度重なる乱入や反則行為猪木の髪を切って逃げたり、三人で拉致して暴行など国際軍団への新日本ファンの怒りは、頂点に達します。
そこで猪木が言ったのが「お前ら三人まとめてかかってこい!」そして実現したのが、伝説の猪木一人対国際三人のハンディキャップマッチです。

このマッチメークが決まった時私は「ひどすぎる。」と本当に新日本と猪木のやり方に嫌悪感を感じ、決定的に新日本が嫌いになりました。
仮にも国際プロレスでエースだったラッシャー木村に、こんなひどい扱いをするのかと憤りました。勝っても負けても国際の三人には、全くメリットがない上に、三人がかりでやっと猪木と対等とイメージダウンする訳です。
(いくら客が呼べるからって、こんなひどいことよく考えるな。)と、本当に猪木と新日本が嫌になりました。会場に試合を見に行った親子連れの子供が、泣きながら猪木のやり方のひどさを親に訴えていたという記事を読みましたが、同感です。

あの時木村達に罵声を送っていた新日本ファンも、今は、いい年になっていると思います。それぞれ社会に出て色々苦労したかもしれません。
中には木村たちのように、会社が倒産して新しい会社で、苦労した人もいるでしょう。
その時初めて、当時の木村達の気持ちが少しは分かったのかもしれませんね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。