3つの宝箱

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

立命館大学の思い出その7(昭和の映画館)

明けましておめでとうございます。
旧年中は。私のブログを読んでいただきありがとうございました。
今年も出来る限り更新していきますので、読んでいただければ嬉しく思います。

正月といえば思い出すのが、よく父に映画に連れて行ってもらったことです。
今の映画館がシネコンに集約された世と違い昭和の時代には、それぞれの街に映画館があり、映画がまだ人々の娯楽の大きな柱となっていました。
私が子供の頃住んでいた淡路という街にも4つも映画館がありました。
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淡路という小さい街ですら4つも映画館があるのですから、大阪の中心梅田には、さらに多くの映画館がありその数は20弱だったと記憶しています。

大作をよく上映していた大きな劇場のOS劇場や北野劇場。一つのビルの中に3つの映画館がコンパクトにまとまっていたシネマ123。松竹系の梅田ピカデリー。あまりメジャーな映画は流さないニューOS劇場。いわゆる名画座で少し前の映画を2本立て上映していた大毎地下劇場など、それぞれの映画館の特徴があり、今でも頭にすぐ浮かびます。
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父には正月によく北野劇場に連れて行ってもらいました。「スターウォーズ」「007シリーズ」「レイダース」など正月の目玉映画をよく一緒に観たものです。
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映画を観終わった後は、必ず喫茶店に連れて行ってもらったのもよく覚えています。その時父はよく「折角映画観るんやったら、楽しくてスカッとするやつ観んとな。」と言っていました。
この考え方は、私にもすりこまれたのか今でも映画館で観るなら派手なアクションや大作SF映画を観に行きます。
ラブストーリや人間ドラマ中心の作品は自分からは積極的に観に行きません。
特に悲しい映画は絶対に観に行きません。
スタンハンセンが、「どうしてわざわざお金を払って悲しい思いをしないと行けないんだい?」と言っていましたが、全く同感です。

そういう考え方なので大学の時も、人に誘われない限りはラブストーリーや悲しい映画は観に行きませんでした。「立命館の思い出その5」で書かせていただいた「追憶」の内容を全く覚えていないのも観たくて行ったからではないからです。誘われてしぶしぶ行ったので内容が頭に全く入らなかったのです。

ただこの時映画よりも凄く記憶に残っていることがあります。
当時の彼女と観に行ったわけですが、受付で自分の分の入場券を買って中に入ろうとすると受付のおばちゃんが「男やねんから、女の子分払ったりぃやあ」と話しかけてきたのです。
この時私は、おばちゃんの他人との距離感を気にせずズケズケものを言ってくるところに驚きつつも(なるほど、そういうものか。)と納得したものです。まあおばちゃんに言われるまで、そういうことを気にしていない私も若かったというか、無神経だったわけですが。

それ以降おばちゃんの教えを守り女の子とデートの時は、必ず自分が払うようにしたものです。女の子とのつきあい方の大事な部分を教えてくれたという
意味であのおばちゃんが、私の師匠です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。