3つの宝箱

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

ミスタ-高橋の暴露本の20年前にプロレスの仕組みを自らばらしていた新日本プロレス

2001年に元新日本プロレスのレフリーのミスタ-高橋の「流血の魔術最強の演技」が出版されプロレスの内幕が、赤裸々に書かれました。
プロレスが結末のあらかじめ決められたものであり、真剣勝負ではないという事実が明らかにされ、ショックを受けたプロレスファンも多かったと思います。

私は小学生のころからプロレスを見ていましたが、真剣勝負と思ったことはなく、色々と決めごとはあるのだろうなと思いつつ見ていました。

かといってプロレスを斜めに構えて見ていた訳ではなく。内幕はあるんだろうけど面白いからいいやという感じで見ていました。何というかグレ-を面白がる感覚ですね。
たから、何事も白黒をはっきりつけたがる人は、プロレスを受け入れられないだろうなというのは、子供ながら理解していました。

ミスタ-高橋が本を出した時には、(あ-あっ、野暮なことをしてくれるな)と思いましたね。言わなくてもみんなが、何となく分かってることをはっきり言ってしまったなという感じでした。

ただこの高橋の本の20年前にはっきりとプロレスの仕組みを感じてしまった事件がありました。
それは「プロレスはキングオブスポーツ」と当時猪木が主張していた新日本プロレスで起きました。

1981年の8月に猪木と新日の常連外国人のマスクドス-パ-スタ-が覆面剥ぎマッチで戦い、負けたス-パ-スタ-がマスクを取られた試合がありました。
それだけなら、別にどうということもない話でマスク剥ぎマッチなどプロレスではよくあることで、敗者が素顔をさらすことも珍しくありません。
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問題はその後です。このマスク剥ぎマッチの時マスクを取られたス-パ-スタ-は直ぐに素顔をタオルで隠したために、あまり素顔が露呈しなかったのです。
それで新日本プロレスは、その次のシリ-ズくらいに素顔のマスクドス-パ-スタ-を別人のビリ-クラッシャ-という名前で来日させたのです。
ただある程度プロレスに詳しいファンなら、ビリ-クラッシャ-がマスクドス-パ-スタ-ということは知っていました。
それなのにゴングや月刊プロレスのような専門誌もビリ-クラッシャ-をス-パ-スタ-と別人のように扱っていたので、(茶番やわぁ)と思ってました。
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さてクラッシャ-が来日したシリ-ズですが、ここでタイトルに挙げた事件が起こります。その前にみなさんに理解しておいて欲しいのは、当時のマスクドス-パ-スタ-のランクなんです。
彼は当時の新日の常連外国人で、トップの猪木には負けるけども2番手3番手の坂口や藤波には、そう簡単には負けないぐらいの扱いだったわけです。
なので、それ以下の新日の日本人レスラ-は、絶対勝てない存在だったわけです。

このシリ-ズにビリ-クラッシャ-は、全くテレビに出ることがなかったので、私はゴングのシリ-ズの試合結果を全部掲載した熱戦譜で彼の試合結果を調べて驚いてしまいました。

何と当時新日の4番手か5番手ぐらいの長州にどの会場でも10分足らずで負けてるんです。当時の長州と言えば外国人レスラ-の噛ませ犬的扱いで、いつもシンやハンセンに3分くらいて負けていたんです。
その長州にビリ-クラッシャ-つまりス-パ-スタ-が負けてるんです。
これってマスクドス-パスタ-は新日の大事な外国人だから、長州に負けることはないけど素顔のビリ-クラッシャ-は商品価値がないから負けさせてもいいってことだなと、瞬時に理解しました。

案の定ほとぼりが冷めて、再びマスクドス-パ-スタ-として来日したビリ-クラッシャ-は、長州に負けることはなかったです。
同じレスラ-がマスクをつけるつけないで、強くなったり弱くなったりすることなどありえません。

(新日本プロレスやってくれたな。迂闊だな。)と当時思ったものです。ただ地方の会場のことであり、ビリ-クラッシャ-が一度もテレビに出なかったため、このことに気づいた人は当時少なかったかも知れません。
私は(やっぱりなあ)と思ったくらいでプロレスに幻滅はしませんでしたが、ひょっとしてこのことでプロレスから去って行った人もいたのかなあと思います。

今のプロレスファンは、全てを理解してプロレスを楽しんでいるので今なら全く気にもされない話かもしれませんね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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