3つの宝箱

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

めちゃイケでの横山由依に見たプロ根性

去年の話ですが、ナインティナインの「めちゃ×2イケてるッ!」の中で女子プロレスの企画がありました。当時めちゃイケが終了になるということで、この女子プロレスの企画も最後ということで企画されたものです。
この時オアシズの光浦靖子とAKBの総監督横山由依が試合をしました。この時の試合が後日ネット上で、少し物議をかもしました。
その試合に触れる前に少し横山由依のことについて述べさせてもらいます。
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横山由依は、今では誰もが知っているAKBの総監督ですが、私が横山由依を知ったのは今から5年前にたまたま「京都いろどり日記」を見たからです。
「京都いろどり日記」は、関西で放送されている京都のいろんなスポットを横山が巡る番組です。
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その時初めて、横山由依を知ったのですが、一言で言うと「めちゃめちゃいい娘」だなと思いました。
番組の内容は、横山が京都のいろんな場所を周りロケを行うものです。
その時に当然色んな初めて会う人と横山とのやり取りがあるのですが、その応対から彼女の人柄の良さが、にじみ出ていました。
また私が何より感心したのは、視聴者からの手紙を読むコーナーで、一つ一つの質問に凄く真摯に答えていたことです。決して質問をすかしたり、かわしたりすることなく、常に真正面から答えている姿に
(あぁ、この娘ええ子やなぁ)と感心したものです。
実際私が質問を送った時も、凄く真剣に考えて回答してくれて嬉しく思ったものです。
その時から「京都いろどり日記」は、毎回欠かさず見ていますが、横山への印象が変わることはありませんでした。

その横山が光浦とプロレスの試合をしたのですが、ネット上で、光浦への攻めがえげつなさ過ぎると批判されたのです。
特に問題とされたのは、横山が光浦に合計で5発放ったトラースキックです。WWE のレジェンド、ショーンマイケルズばりの見事な蹴りでした。
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この蹴りが「シビア過ぎる」とか「バラエティーなのに」とか色々と批判されました。
私は、この番組を見ていましたが結論から言うと横山への批判は、全く的外れだと思います。
横山は、プロのタレントとして自分の役割を全うしただけなのですから。

そもそもこの一戦は光浦の強い希望で実現したものでした。めちゃイケの終了に伴い、当然めちゃイケ内の女子プロレスも終了になります。
それで最後に悔いを残さないために試合をしたいという光浦の熱い思いで実現した試合です。そういう思いで試合に望んでいる光浦に対して下手に手加減した蹴りを放つことこそ失礼ですし、批判されるべきです。
そこを横山は、充分に理解して自分のヒール(悪役)としての役割を全うしただけなので、誉められこそすれ批判されるのはおかしいと思います。

前述したように本来の横山は、凄く優しい性格のいい娘です。その横山が本来の自分とかけ離れたヒールを演じきったプロ根性を称えたいと思います。
いかに試合の中の役割とはいえ、自分の倍ぐらいの年齢の光浦の顔面を思いっきり蹴ることに躊躇や葛藤があったと思います。されど試合になると全くそういう素振りを見せずにプロとして徹底した横山は、立派でした。

試合後に光浦に話しかけた時の横山は、涙ぐんでいました。光浦の頑張りへの感動と仕事とはいえ厳しい攻撃をしかけてしまったことに対する罪悪感が、一気に吹き出したような感じでした。
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試合が終わって素の横山由依が出てしまったのだと思います。
本来の優しい性格を隠しきれなかったのです。
しかし仕事ではその性格を押し隠しプロに撤しきる横山由依を応援しています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

立命館大学の思い出その7(昭和の映画館)

明けましておめでとうございます。
旧年中は。私のブログを読んでいただきありがとうございました。
今年も出来る限り更新していきますので、読んでいただければ嬉しく思います。

正月といえば思い出すのが、よく父に映画に連れて行ってもらったことです。
今の映画館がシネコンに集約された世と違い昭和の時代には、それぞれの街に映画館があり、映画がまだ人々の娯楽の大きな柱となっていました。
私が子供の頃住んでいた淡路という街にも4つも映画館がありました。
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淡路という小さい街ですら4つも映画館があるのですから、大阪の中心梅田には、さらに多くの映画館がありその数は20弱だったと記憶しています。

大作をよく上映していた大きな劇場のOS劇場や北野劇場。一つのビルの中に3つの映画館がコンパクトにまとまっていたシネマ123。松竹系の梅田ピカデリー。あまりメジャーな映画は流さないニューOS劇場。いわゆる名画座で少し前の映画を2本立て上映していた大毎地下劇場など、それぞれの映画館の特徴があり、今でも頭にすぐ浮かびます。
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父には正月によく北野劇場に連れて行ってもらいました。「スターウォーズ」「007シリーズ」「レイダース」など正月の目玉映画をよく一緒に観たものです。
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映画を観終わった後は、必ず喫茶店に連れて行ってもらったのもよく覚えています。その時父はよく「折角映画観るんやったら、楽しくてスカッとするやつ観んとな。」と言っていました。
この考え方は、私にもすりこまれたのか今でも映画館で観るなら派手なアクションや大作SF映画を観に行きます。
ラブストーリや人間ドラマ中心の作品は自分からは積極的に観に行きません。
特に悲しい映画は絶対に観に行きません。
スタンハンセンが、「どうしてわざわざお金を払って悲しい思いをしないと行けないんだい?」と言っていましたが、全く同感です。

そういう考え方なので大学の時も、人に誘われない限りはラブストーリーや悲しい映画は観に行きませんでした。「立命館の思い出その5」で書かせていただいた「追憶」の内容を全く覚えていないのも観たくて行ったからではないからです。誘われてしぶしぶ行ったので内容が頭に全く入らなかったのです。

ただこの時映画よりも凄く記憶に残っていることがあります。
当時の彼女と観に行ったわけですが、受付で自分の分の入場券を買って中に入ろうとすると受付のおばちゃんが「男やねんから、女の子分払ったりぃやあ」と話しかけてきたのです。
この時私は、おばちゃんの他人との距離感を気にせずズケズケものを言ってくるところに驚きつつも(なるほど、そういうものか。)と納得したものです。まあおばちゃんに言われるまで、そういうことを気にしていない私も若かったというか、無神経だったわけですが。

それ以降おばちゃんの教えを守り女の子とデートの時は、必ず自分が払うようにしたものです。女の子とのつきあい方の大事な部分を教えてくれたという
意味であのおばちゃんが、私の師匠です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

立命館大学の思い出その6(学生街の喫茶店)

私が大学の時は、今と違い個人経営の喫茶店が多くありました。立命館の衣笠キャンバスの近くにも、多くの喫茶店があり立命生がよくたむろしていました。
オムライスで有名な「ひとみ」や山小屋風の無限堂など今でも残っている店もあります。
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当時は何かあると喫茶店で語り合ったものです。
プロレスや映画や異性のことなど、とりとめもなく語り合ったものでした。

私が2回生の時だったと思うのですが、以学館の裏通りの通学路にクラシック喫茶「ムジーク」がオープンしました。クラシック喫茶の名が示すように店内は常時クラシック音楽が流れる落ち着いた雰囲気の店です。
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この裏通りで、ある時私が思いを寄せていた美少女と偶然出会いました。以前に書かせていただいた石川ひとみと有森也美を足して2で割ったような美少女でした。
(この娘とここでお茶をしたいな。)と思いましたが、誘うことは出来ませんでした。言い出すことは出来ませんでした。
彼女には私は友達として接していましたので、その関係自体が誘うことによりおかしくなるのが怖くて言い出せなかったのです。

当時昼ドラで藤吉久美子主演の「しのぶ」というドラマが放送されていました。
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その主題歌で因幡晃の「忍冬」という歌があり、この歌の歌詞が当時の私の心中を代弁してくれているようでした。
「なくせない人だから、続ける一幕友達芝居。
 だけど忍という字は難しい。
 心に刃を乗せるのね。
 時々心が痛むのは刃が暴れるせいなのね。」
今でもこの歌を聞くと当時を思いだします。
例えていうと彼女は私にとって当時のNWA世界チャンピオンのような存在でした。獲れないとわかっていても挑んでしまいたくなる。そのような意味で(プロレスファンなら分かってくれると思いますが。)
無駄にあがいていたような日々ですが、それも今となっては青春時代の思い出です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

立命館大学の思い出その5(国際都市十三)

大阪府民なら、みんな知っていることですが大阪市に十三という街があります。(じゅうさんではなくじゅうそうと読みます。)
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私が学生の時十三は、一部の人に「国際都市」と呼ばれていました。何故なら十三の中には「パリ」や「ロンドン」が存在していたからです。
そう十三には、「キャバレーパリ」や「キャバレーロンドン」があったのです。一つの街の中にパリやロンドンが存在する、これを国際都市と言わずして何というのでしょう。

そういう他国籍都市十三が、私は凄く好きでした。(今もです。)
洗練された梅田と違い、コテコテの大阪を感じられ、飾らない下町であり繁華街でもある十三。
後にリドリースコットが映画「ブラックレイン」でロケ地に選んだその慧眼に感心すると共に嬉しく感じたものです。
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私が学生の時十三には映画館がありました。この映画館も十三らしく、雑多な種類の映画が何本立てかで、よく上映されていました。一度ホラー映画の5本立てがあり友人と見に行きましたが、流石に3本目で気分が悪くなり5本は見られませんでした。友人は、まだまだ見る気満々でしたが。

その十三の映画館に1回生の時の土曜日に当時の彼女と映画を見に行きました。確かロバート・レッドフォード主演の「追憶」だったと思います。映画の内容は全く覚えていません。
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昼間に見に行きましたので、確か4時くらいに映画が終わったと思います。当然その後どうするかという話になって私が「用があるから帰る。」と言ったところ当然彼女が、その用の内容を訪ねてきました。
その用というのほ、当時5時半から放送されていた全日本プロレスを見たいということでした。私の部屋にはビデオがなくリアルタイムで放送を見ないとその日の放送が見れなかったのです。
なおかつその日は、年に一度の世界最強タッグリーグ戦でジャイアント馬場組が試合をするのです。
どうしても見逃す訳には行かなかったのです。
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言い訳するのも面倒くさいので「全日本プロレスを見たいから帰る」と彼女に言ったところ彼女が怒りだし、あげくのはてに言った言葉が
「私と馬場どっちが大事?」でした。
これを聞いた時私は(こいつ凄いこと言うなあ。自分と馬場を天秤にかけるなんて)と吹き出しそうになりました。
この問いに対しては関西人らしく答えねばと思いましたので、少し考えるふりをして間を置いた後
「君と馬場か。ちょっと馬場の方が大事かな。」と答えたところ殴られました。
結局話し合い近くの電気屋のテレビで二人でプロレスを見ましたが、今となっては悪いことをしたなと反省しています。

そんな学生時代の思い出も含めて、十三という街が今でも大好きです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

Z ファンの溜飲を下げたグレートでの兜甲児再登場

以前に「マジンガーZ対暗黒大将軍」の話を書かせていただきました。
今回はテレビ版のZの最終回の話をしたいと思います。
テレビ版の最終回は、ある意味映画よりショッキングな内容になっていました。
何しろたった2体の戦闘獣にZが、ボロボロにやられてしまうのです。
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映画の「マジンガーZ対暗黒大将軍」では、Zは苦戦しながらも6体の戦闘獣を倒しています。
それが、テレビ版の最終回では、グラトニオス・ピラニアスという2体に全く歯が立たずやられてしまうのです。
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当時小学生だった私は、テレビの前で呆然として泣きそうになってしまいました。
(俺の大好きなマジンガーが、こんな奴らにやられる。)
作品中にかかるBGMの「わが友マジンガーZ」が、より切なさを強調し、本当に見ていてつらかったものです。
結局Zはやられて、その後映画と同じようにグレートが助けに来るのですが、Zがやられたショックが大きすぎてグレートが来たことにはあまり何も感じないくらいでした。
映画では、Zがやられる寸前に来てくれたのですが今回はやられた後だったので
(今更来ても遅いねん。)ぐらいしか思わなかったのです。

この衝撃の最終回の後グレートが始まり、あまりのめり込めないものの毎週見ていました。
グレートのアニメも佳境を迎えようとしていた頃、当時私が読んでいた「テレビマガジン」という月刊誌に「兜甲児が、帰ってくる!」という記事か掲載されました。
内容は、アメリカに留学していた甲児がミケーネとの戦いの助っ人として、グレートを助けるために帰ってくるというものでした。
しかも、Zの全身を超合金ニューZでコーティングし直し、パワーも6倍に強化されているということでした。
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実際にZが再登場すると、以前あれほど苦戦した戦闘獣を全く寄せ付けない強さで、次々と撃破し私は本当に嬉しかったです。
Zの最終回での私のトラウマもある程度払拭されたのですが、不満が残る点が二つあります。

一つは、甲児が帰って来た時に剣鉄也が快く甲児に協力せず意地をはったため兜剣造博士が命を落としたことです。
孤児である鉄也は、博士の実子である甲児が帰って来たことにより嫉妬を覚え、より優れた戦闘能力を見せようとしたため窮地に陥り、それを博士が犠牲になり助けます。
博士は、死の間際に甲児に「誰に対しても温かい心を持つんだ。」と言い残します。
その言葉通り甲児は、一言も鉄也を責めませんでした。
(兜甲児って、やっぱり男やな。)と改めて甲児が好きになったものです。
その反面鉄也には
(お前の心が狭いからこんなことになったんや。)と苛立ちを覚えたものです。
今となっては、鉄也の心情も理解出来るのですが、子供だったので、苛立ちの方が大きかったのです。
もう一つは、帰って来たZは、圧倒的に戦闘獣より強く嬉しかったのですが、出来れば直接グラトニオス・ピラニアスを倒して欲しいと思ったのです。
もちろん二体とも既にグレートに倒されてるので不可能なんですが、その二体の改良型か何かをZが、完膚なきまでに叩きのめしてくれないかなと子供心に思ったものです。
それにより、初めてZの最終回のトラウマが完全に払拭されるのです。
逆に言うとZの最終回は、子供心にそれだけショックだったということです。
ただグレートの最終回にZが、大活躍したのは本当に嬉しかったです。
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子供の心を考えてくれた当時のスタッフにありがとうと言いたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

今一つ感情移入出来ないグレートマジンガー、その理由は兜甲児と剣鉄也の違い

マジンガーZの話をする時に避けて通れないのが、「グレートマジンガー」です。
グレートは、その名が示すようにマジンガーZの兄弟機であり、性能がアップグレードされたマシンです。死んだと思われていた甲児の父、兜剣造博士によって作られ、ミケーネ闇の帝王との戦いに備えていました。
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初登場は、映画「マジンガーZ対暗黒大将軍」で、戦闘獣相手に絶体絶命のZを助けに来ます。
この時のグレートは、めちゃくちゃカッコ良くて全国の子供が魅了されたと思います。
何しろZが戦闘獣相手に絶対絶命の危機に陥った時に、颯爽と現れ.Zがあれほど苦しめられていた戦闘獣達を一掃してしまいます。
あまりの強さとカッコよさに劇場で、口をあんぐりとあけて見とれたものです。
特に「サンダ-ブレイク」という指から出る光線で、戦闘獣を次々と、やっつけるところは、最高にカッコよく頼もしかったです。
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そんな衝撃的な初登場を果たしたグレートですが、テレビアニメが始まるとZほどの人気は、取れなかったのです。
それには幾つか理由があります。
一つには、初登場時があまりにもカッコ良すぎてそれを超える見せ場がテレビでは、作れなかった点です。
Z の場合は、色々と性能に未知の部分や未完成のところもあり、兜甲児と共に成長していく過程も魅力でした。
それに対しグレートは、初登場から完成しきっており、それ以上伸びしろがなかったのです。
何しろ標準装備で飛べるのですから、最初は飛べなかったZとは、大違いです。

二つめは、タイトルに上げた主人公剣鉄也のキャラクターです。
熱血漢で明るく人に対して思いやりがある兜甲児と違い、剣鉄也は戦闘のプロフェッショナルとして養成され、大人びて他人に対してもク-ルです。
初登場の時兜シロ-にグレートのことを聞かれ、
「今までのマジンガ-Zとは訳が違うぜ。」と発言して怒らせるなど、他人の心情をあまり気にしないところがありました。
桜多吾作版の漫画では、その傾向がより顕著に現れ戦闘獣との戦いで苦戦すると、「兜甲児の野郎、よく今まであんなポンコツのマジンガ-Zで戦ってたな。」などと発言し、Zが好きな私は悲しい思いをしました。
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細かい点で言うと剣鉄也の声優も映画版の田中亮一(デビルマンの不動明役)から、野田圭一(一休さんの新右衛門さん役)に変更されており、より大人びた感じになっていたのも、子供が剣鉄也に感情移入しにくい一つの原因になっていました。
映画版での田中亮一の「サンダ-ブレイク!」というかけ声は、カッコよく(テレビアニメになったら、この声でやってくれるんや。)と期待していたので、野田圭一の声に少し失望したものです。
(え-っ。この人が主役の声?映画では戦闘獣の役やったやん。)とがっかりしたことを覚えています。

声優も含めト-タルで、大人すぎた剣鉄也にはどうしても馴染めませんでした。
永井先生としては、兜甲児との対比で剣鉄也の性格づけをしたのでしょうが、もう少し子供受けするキャラクターにしてくれれば、もっとグレートマジンガ-を楽しめたのかなと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

昭和の新日本プロレスを決定的に嫌いになった理由

今まで私のブログを読んでいた方なら、薄々分かっていただいていると思いますが、私は昭和の全日本プロレス派です。
プロレスラー個人のアントニオ猪木は、本当に素晴らしいレスラーで猪木の試合には魅了されたものです。
ただ団体としての新日本プロレスが、どうしても受け入れられませんでした。
一番大きな理由は、他団体を落としめて自分の団体だけが利を得ようとするやり方が、大嫌いだったのです。

国際プロレスからエースのストロング小林を引き抜いたり、全日本プロレスの馬場に対する挑発行為。
自分のところは、ストロングスタイルで全日本はショーマンスタイルとの誹謗中傷。
挙げ句の果てにショーマンスタイルと見下していたその全日本プロレスから選手の引き抜き。
他団体を潰すためには、何でもするという姿勢に嫌悪感を感じたものでした。

ただそのほとんどは、猪木のブレーンの新間寿が行ったもので、猪木に対しては直接の嫌悪感は持っていなかったのです。
何より前述したように、レスラーとして猪木は本当に魅力的だったからです。

そんな猪木も含めて、新日本にとことん嫌悪感を持つようになったのは、国際プロレスが崩壊した後のことです。
ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の元国際勢三人が新日本プロレスに上がることになりました。
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彼ら三人に対する新日本プロレスの扱いは、ひどいものでした。
猪木に敵対する訳ですから、悪役として扱われるのは仕方ありません。ただ対等の敵として扱うのではなく、ひどく格下扱いして終始見下していました。

これは、当時の新日本ファンのせいでもあります。
当時の新日ファンは、熱狂的猪木信者が多く猪木に敵対するものは、憎悪の対象になりやすかったのです。特に木村たち三人に対しては、「潰れた団体の奴らが、生意気に猪木に立ち向かいやがって」とファン自体が、彼らを見下していたため、会場での憎まれ方も凄まじいものでした。何しろ出てくるだけで「帰れコール」の大合唱。某プロレス誌の記者が「団体が潰れて、帰る場所のない人間に帰れコールとは、ひどすぎる。」と新日本のファンの人間性を嘆いていたものです。
その木村たちの憎まれ方を見て、新日本のフロントや猪木が徹底的に悪役扱いして集客に結びつけようと思ったわけです。

度重なる乱入や反則行為猪木の髪を切って逃げたり、三人で拉致して暴行など国際軍団への新日本ファンの怒りは、頂点に達します。
そこで猪木が言ったのが「お前ら三人まとめてかかってこい!」そして実現したのが、伝説の猪木一人対国際三人のハンディキャップマッチです。

このマッチメークが決まった時私は「ひどすぎる。」と本当に新日本と猪木のやり方に嫌悪感を感じ、決定的に新日本が嫌いになりました。
仮にも国際プロレスでエースだったラッシャー木村に、こんなひどい扱いをするのかと憤りました。勝っても負けても国際の三人には、全くメリットがない上に、三人がかりでやっと猪木と対等とイメージダウンする訳です。
(いくら客が呼べるからって、こんなひどいことよく考えるな。)と、本当に猪木と新日本が嫌になりました。会場に試合を見に行った親子連れの子供が、泣きながら猪木のやり方のひどさを親に訴えていたという記事を読みましたが、同感です。

あの時木村達に罵声を送っていた新日本ファンも、今は、いい年になっていると思います。それぞれ社会に出て色々苦労したかもしれません。
中には木村たちのように、会社が倒産して新しい会社で、苦労した人もいるでしょう。
その時初めて、当時の木村達の気持ちが少しは分かったのかもしれませんね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。